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文責: 重城良国

ノブレス・オブリージュ

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ウィキペディア: ノブレス・オブリージュ

ノブレス・オブリージュという言葉がある。直訳すると「高貴さは(義務を)強制する」となる。財産、権力、社会的地位の保持には責任が伴うということだ。

僕がこの言葉を意識するのは「自分が恵まれている」と感じるからだ。もちろん、不満を探せばいろいろと出てくるし、財産、権力、社会的地位と言うほどのものはない。しかし、たとえば世界を見回せば、そもそも「平均的な日本人である」というだけで、相当に恵まれた部類に入るはずだ。すくなくとも、明日殺される可能性はかなり低い。「ご飯が食べたい」と言わなくても、むしろ「ご飯を食べろ」と言われ、「勉強をしたい」と言わなくても、むしろ「勉強しろ」と言われる。

世界的に見れば、僕らが考える「最低限」というもの自体がすでに「恵まれている」と言えるだろう。実際のところ、日本国内を見たとしても貧困問題はあるわけだが、それはまた別の機会に触れることにする。

そのように「普通」というもの自体がすでに恵まれているという側面がある。しかし、それだけではない。他人と比較してということではないが、僕には自分が精神的貴族であるべきだという思いがある。「高貴でなければいけない」ということだし、そうでなければ、すくなくとも「高貴であろうと努力するべきだ」ということだ。

そんななかで僕は、ノブレス・オブリージュという言葉をこうとらえる。自分が高貴であると考えたければ、僕はある種の義務を負うことになる、と。

では、一体どんな義務を負うのかと考えてみる。それは頭で考えるというよりは自分の心に聞いてみるといった感じだ。まず、第一に人間が残酷に扱われることがないようにするために、自分の能力を生かさなければならないということだ。そこには、自分自身が残酷に扱われることへの恐怖というものがある。これは、ある意味マイナスをゼロにする努力である。

もちろん、そこにマイナスがある限り、マイナスをゼロにする努力をやめることはできない。しかし、それだけでは駄目なように思う。マイナスはマイナスとして知りながらも、それでもゼロをプラスにする努力もまた必要なのだろう。

たとえばある1人の人を見て、彼は本当にすばらしく幸せである、と。そう言えるような1人の人が存在するように努力する。そして、その幸せを万人が手に入れられるように努力していくことだ。それがゼロをプラスにすることであり、実のところその努力がマイナスをゼロにすることにつながるのだろう。

「考える」ということ。「自分の能力を磨く」ということ。それを僕は常にすべての「人間」というものを意識しながらやっていかなくてはならない。僕という人間を幸せにしながら、他のすべての人間の幸せを求めて生きていく。そういう姿勢を常に持つ必要があるのだろう。

子供のころに願ったことは「すべての人類が幸せであること」だった。今、僕は原点にもどることにする。

追加

僕の能力を世界のために生かしたい、と言うのに、ことさら「ノブレス・オブリージュ」という概念を持ち出す必要はない。しかし、このような概念を心に持つことで、たとえばヘイトスピーチ等の心ない行動をとる人々の存在に心痛めなくてすむということがある。「高貴な人間」には義務があるけれど、そうでない人間は「しかたない」のだ、と。

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