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文責: 重城良国

STAP細胞騒動: 個人的な感情

嫉妬心

自負心が強く現在の自分に満足できていない人間(つまりこの僕)にとって、他人の成功というものは嫉ましいものだ。大々的な科学的な発見というものに接して僕が必ず感じるのは、まずは嫉みだ。そのような嫉みをいろいろな方法ですこしずつ合理化していき、自分で受け入れやすいようにしていく。

メシウマ

たいていにおいて、合理化はすこしずつ進むのだが、今回は特別だった。変化したのは自分の心ではなく向こうの状況のほうだった。論文はコピペだった。STAP細胞はなかった。ここで、僕の嫉妬心は正当化される。言わば「正義は僕のほうにある」という状態だ。自分の心を変化させることなく感情を正当化することができる。

焦りは消え、「これでいいのだ」と思えるようになる。「比較による幸不幸」中枢が働き出し「あの人は僕より不幸だ、だから僕は幸せだ」という結論が導かれる。そして、比較の対象となった人には「より不幸を」と望む。ネットスラングで言うところの「メシウマ」という状態だ。

理性による調整

他人の不幸を望むという気持ちはいつからともなく僕の心に巣食った。高校生くらいまではこの気持ちはなかった(あるいはそれに気づいていなかった)ように思うのだ。不安や焦りという感情がその吐け口を求めているのだろう。

「他人の不幸を求める気持ち」というものはかなり本能的なものなのだと思う。三大欲求に近いものだ。だからそれを否認してもしかたがない。否認すればするほど、それは形を変えて、たとえば変な正義感になったりして、より扱いにくいものとなる。

その気持ちはある。するべきことはそれを自覚したうえで、それに左右されないようにすることだろう。

「個人的な感情」を書いた意味

STAP細胞騒動についていろいろ書こうと思うのだが、それらの根底にあるもともとの動機はきれいなものではない。しかし、泥に咲く花のように汚い動機からきれいなものが生まれることもある。泥のうえにきれいな花を咲かせるためには、泥についてよく意識しておく必要がある。そうでないと花に泥がついてしまうかもしれない。

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