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文責: 重城良国

STAP細胞騒動: 「中身よりも形式」という背景

形式重視の社会

僕という人間はずっと生きづらさを感じてきた。世の中には「形式」というものがある。中身よりも形式が重視される。中身のあることをぶっきらぼうに言うよりも、意味のないことを形式にのっとって言うほうが評価される。ぼろを着た高僧よりも、立派な袈裟をかけた豚のほうが喜ばれる。ダイヤの原石よりもフリルのついた石のほうが高く見積もられるのだ。

コピペ教育

大学で習うことは「フリルのつけかた」である。意味のあることを言うことよりも、形式通りに、いかにきれいに見せるかを習う。百万語を費すよりも一回やってみるほうが重要という感覚はない。「実験をする」にしても「見たまま」を観察することよりも、いかにして「教科書通りに見るか」が大切なのだ。事実を記述に対して戦わせることなく、事実はつねに不戦敗なのだ。

研究者はそんなふうにして教育される。そして出来上がったのが小保方さんなのだ。「いい子」は自分の見たものではなく「見ろ」と言われたものを見る。それが過剰になれば、親を喜ばすために「見ろ」と言われたものを、どんな手段を使ってでも作り出そうとする。

小保方さんは多分、ずっと同じことをしてきた。中身はなくても出せば良いレポート、誰も読もうとしない論文、形式だけ整えれば良い書類書類書類。今回だって同じだった。期限までにとにかく形式だけ整えた論文を書き上げれば良い。

誰の目にも触れない小さな研究なら良かった。コピペ論文でも次の雇用契約更新のタネとしては十分だ。しかし、それが「大発見」になってしまったのが運のつきだった。

もともと罪悪感などない。そうするように教育されてきたし、みんなそうしてきた。レポートなんて馬鹿正直に書く必要はない。そんなことは誰も望んでいない。そもそも、馬鹿正直に書いている時間なんてないのだ。

意味のあることを

意味のあることをしよう。STAP細胞騒動から得られる教訓はそれだ。「意味のあること」とは「実用」だけの話ではない。中身のあること、意味のあることをする。中身のある文章は読み進むにつれて、手応えのある塊に触れることができる。それは知的にも感情的にも重さがあり硬さがある。形式だけの文章にはそれはない。読みながら、それは砂のように指のすきまからこぼれていってしまう。

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